だが
フランス革命の混乱による中断等で社会数学の試みは未完成に終わり、20世紀初頭までその内容と射程が正確に見直されることは少なかったと言えるだろう。その一因には19世紀を通じて大きな影響をふるった実証主義の祖である
オーギュスト・コントのコンドルセ評価が後世に与えた影響がある。「
社会学」の創始者であるコントは、自らの「精神的父」としてコンドルセを挙げ、コンドルセの政治思想や歴史観を再解釈して評価した。だが、社会現象の記述に数学を適用することを全く認めなかったのである
[[外部リンク]http://soki.free.fr/licence1.html]。数学者からの低い評価も同様に影響した。唯一まとまった形で出版された1785年の「多数決の確率に対する解析の応用試論」が複雑な解析計算を展開する割にはごく一般的な結論しか導けていないことが批判の的となり、20世紀初頭、
カール・ピアソンにより再評価されるまで忘れ去られることになったのである。
今日定着しているコンドルセのイメージは革命期以降の社会的・政治活動に由来するものが多い。彼は人類愛と資本
寡占への批判をも含む人道的汎人文主義者として
1788年に「黒人友の会」出稿。
1789年のフランス革命ではパリ・コミューン役員となり、
1790年には
アベ・シェイエスらと1789年協会を設立、
ヴァレンヌ事件以降、共和主義者の論客となり、
1781年9月立法議会にパリから選出され、公共教育委員会議長となっている。
1792年9月国民公会議員となり、議長を経て、憲法委員会に入り
1793年2月ジロンド憲法草案を議会に上程。同年のパリコミューンの事件で
ジロンド派は没落。6月14日山岳派憲法が可決。恐怖政治に反対したため7月8日逮捕令状が発せられ、ヴェルネ夫人宅の9月間の隠遁生活中のとき「人間精神進歩の歴史」を執筆。該著作は、
オーギュスト・コント社会学の基礎となる小論で、人間の精神は、天文学と、占星学、純粋数学、神学といった人間の精神と社会活動から離れている学的領域から、やがて、文学、経済学、論理学、社会科学といった人間の行動と生活を論理的に究明する人文科学へ発展してきており、進化の過程において、心理学と社会科学がようやく生まれてきたその
精神史と社会科学の重要性を論じ、
オーギュスト・コントの理論の礎を「人類の精神の進歩」の最も大切な学的領域として捉えている。その後、令状通りに逮捕され獄中で自殺。51歳だった。