この惨事は進入禁止エリアで観客が観戦し、警備員が再三の撤退を促していた中で起きたものである。しかし当時の日本ではモータースポーツへの理解が低かったこともあり、ヴィルヌーヴは業務上過失致死の容疑で書類送検され、事実上日本から永久追放処分となってしまった。この事故も一因となり、日本におけるF1開催は10年間にわたり中断されることになる
[1987年に鈴鹿サーキットで再開された。]。ヴィルヌーヴは日本を含む各国のマスコミから激しい非難に晒されたが、エンツォ・フェラーリは「死亡事故は今までにもたくさんあった、これがF1レースの世界だ」と擁護した。