ボディビル(
ボディビルディング、英語:bodybuilding)は
筋肉繊維を
ウェイトトレーニング、
栄養の摂取そして休養を組み合わせることによって発達させる過程のことである。ボディビルを行う人を
ボディビルダーと呼ぶ。
スポーツ(ボディビルはスポーツではないという見方もあるが)としては「ボディビル競技会(コンテスト)」と呼ばれ、ボディビルダーたちは彼らの肉体(physiques)を審査員に披露し、審査員は審美的造型に基づいて得点をつける。審美的、というのは、胸回りが何センチあるか、と言った尺度ではなく、全体的な形の美しさで審判するという意味である。
シンメトリーやディフィニションより、サイズの大きさが優先されて評価されるようになった現代では、1940年から1970年はボディビルの「黄金時代」と回顧されることがある。トレーニング技術が発達し、出版物やコンテストが増加したのもこの時代である。この時代のボディビルは、米国
カリフォルニア州の
サンタモニカの
マッスル・ビーチで、特に盛んであった。人気が高まるにつれ、
アマチュア・アスレチック・ユニオン(AAU)が1939年にボディビル競技会を既存のウェイトリフティング競技の一つに加え、翌年にはこの競技会をAAUミスター・アメリカと命名した。しかし、AAUはアマチュア競技者のみを許可し、ウェイトリフティングのオリンピック競技を重視したため、多くのボディビルダーの反発を招いた。これをきっかけに、
ベンと
ジョン・ウィーダー兄弟が
国際ボディビル連盟(IFBB)を発足させるに至った。IFBBミスター・アメリカはプロも参加可能なコンテストであった。1950年には全米アマチュアボディビルディング協会 (NABBA) が「NABBAミスター・ユニバース・コンテスト」を英国で開始した。これと双璧をなす
ミスター・オリンピアの第1回は1965年に開催された。現在では
ミスター・オリンピアはボディビル界でもっとも栄誉あるタイトルになっている。 当初はそのコンテストは男性限定であったが、1965年にNABBAはミス・ユニバースをコンテストに加え、1980年にはミス・オリンピアが創設された。
日本においても
1955年に当時人気の
プロレスとあいまって第一次ボディビルブームが起こり、広くボディビルが普及した。同年10月には「日本ボディビル協会」(現在の
日本ボディビル連盟)が発足し、第一回ミスター日本ボディビルコンテストが行われた。
1967年にはIFBB世界大会に日本選手を派遣し、日本ボディビルが本格的に国際化する。その後もIFBBやNABBAの国際大会で日本選手が相次いで好成績を収めている。
1983年には初の女性ボディビル全国大会である「ミス日本コンテスト」が開催された。
1970年代までに、ボディビルは、アーノルド・シュワルツェネッガーと
1977年の映画「パンピング・アイアン」により大きな市民権を獲得するようになった。このときにはIFBBがボディビル界を統括しており、AAUはその後塵を拝した。また、この時代には
アナボリックステロイドホルモンが他のスポーツと同様にボディビルにも浸透していった。このような状況に対し、
国際オリンピック委員会のメンバーに認めてもらうために、IFBBは数種のステロイドホルモン剤と他の禁止薬物に対して厳格な
ドーピング検査を導入した。2000年代初頭、IFBBはボディビルを
オリンピックの競技にしようと試みた。2000年にはIOCの会員となり、(オリンピックの正式種目として採用される可能性のある)公開競技としての開催が試みられたものの、結局成功にはいたらなかった。この背景には実際のコンテストでは運動競技の様な「記録」が無い事から、ボディビルはスポーツではないという主張するものがいることや、ボディビルではオリンピックの競技で禁止されているアナボリックステロイドホルモンの使用が不可避であるとの根強い誤解がある。これに対し支持者は
ポージング・ルーチンには他のスポーツと同じように技能と準備が必要だと主張しており、依然として論争の的になっている。