一期目は「
レーガノミックス」に代表される大幅減税と積極的財政政策でアメリカに長期の好景気をもたらし
[1980年代のアメリカの景気は、1982年から1983年初頭まで後退傾向にあった他は、ほぼ一貫して拡大傾向にあり、これがそのまま1990年末まで続いている(厚生労働省[外部リンク] 『海外労働情勢』1994年版)。]、就任当初から、前任者
ジミー・カーター時代の
イラン革命や、
中米ニカラグアでの
サンディニスタ政権成立などで、当該国の親米独裁政権を失ったことを批判して失地を挽回するため世界各地で強硬策を実行し、
ベトナム戦争以来となる本格的な
海外への武力侵攻を
グレナダに対して行うなど、強いアメリカを印象づける出来事が目立った。高い支持率を維持した結果、1984年の大統領選では対立候補の地元を除く49州を獲得するという地滑り的大勝で再選された。しかし2期目は
イラン・コントラ事件に代表される数々の政治スキャンダルに揉まれ、政権の体質に対する各方面からの厳しい批判が目立った。
イリノイ州タンピコで、父ジョン・レーガンと母ネル・ウィルソンの間の2人の息子の2番目として生まれた。レーガン家は
アイルランド系の家系である。数年間にわたり町から町へ引っ越した後、
1920年に一家はイリノイ州ディクソンに定住した。11歳のときにレーガンは
ディクソンのディサイプル教会で洗礼を受けている。
幼い頃より話術と演技に才能があり、後にそれをさらに発展させ、
シカゴの
大リーグチーム・
シカゴ・カブスの
ラジオアナウンサーになった。ティッカー(ニュースなどを紙テープに印字する自動受信機)の紙テープからわかる試合の輪郭だけをもとに、自らの想像と話し方の才能をつかって実況放送を行った。
1934年の
セントルイス・カーディナルス戦において、カブスの9回の攻撃時に放送回線が故障したが、機器が回復するまで架空の実況放送を即興で滑らかに行った。