女御(桐壺の御方、御息所などとも)と呼ばれるようになった彼女は、東宮の篤い寵愛を受け、間もなく御子を懐妊する(
数え13歳)。その子が男御子(第一皇子)だったため、明石の入道は満願成就となり、現世を捨て入山する。出産後に入道の手紙を読んだ女御は、祖父や実母の犠牲や愛をその時初めて深く知り、思いやり深い女性に成長する。その後東宮の即位で第一皇子が新たな東宮に立ち(「
若菜下」)、「
御法」で
中宮となる。紫の上死去の際には、傍らでその最期を看取った。
異母兄
夕霧同様子宝に恵まれ、帝との間に四男一女を産んだ。
宇治十帖では、帝と共に第三皇子の
匂宮を寵愛しつつもその自由奔放な品行を案じており、始め匂宮と
宇治の中君との仲にも反対だったが、二人の間に男子が誕生した時は自ら産養(うぶやしない)を主催して祝福した。また
浮舟の事件でも心を痛め、彼女の生存を知った際には匂宮には内密で
薫に知らせた。