元は
古代中国において兄弟の子を指したともいわれている。記録上に残る最も古いケースは
源定が
淳和天皇の猶子になったことであると言われているが、
平安時代後期までは猶子と養子の違いは明確ではなかったと言われている。
貞観14年
10月10日の
右大臣基経(
長良の子)の上表文に自分が叔父である故
藤原良房(元
摂政太政大臣)の猶子であったことが記されているが、良房に他に男子はなく、
蔭位と家産は基経に継がれていることから今日では養子と解されている。また、
具平親王の子・
源師房は
源氏の姓のまま姉婿である
関白藤原頼通の猶子になったが、当時の記録では「異姓の養子」(『
小右記』)と書かれている。また、
藤原邦綱の子の
清邦のように
平清盛の猶子になってそのまま
平氏に姓を改めた例もある。
鎌倉時代には養子との区別が明確化して
武士や
僧侶の間にも広まっていった(ただし、後世においても例外的に実子が無かった場合に猶子を相続人にする例も存在したが、これは特例として考えられる)。